小さなしあわせの花

〜かわいいは正義である〜

ひと夏の思い出たち

 

この前、フォルダを整理していたら一枚の写真を見つけた。懐かしかった。

二年前の夏、友達と浴衣を着てお洒落をして見に行った河川敷の花火大会。ずーっとカメラを握りしめて見ていたのに花火の写真はこのたった一枚しかなかった。

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帰りの電車に揺られながら、当時携帯のショートメール機能を使い始めたばかりの祖父にこの花火の写真を送ってあげようと思った。けれど、祖父とのやり取りがショートメールだった(SMSだと写真が送れない)のを思い出して今度見せてあげようと諦めた。祖父のメールはとってもかわいかった。努力家だった祖父は毎日説明書を読みながらメールの使い方を覚えたり、間違えて送ってしまったメールに返信してあげると、「まだまだ充分でないね。頑張る」と返事をくれたりした。頑張って打ってくれてたメールにいつも笑顔を貰っていた。

 

幸せってなんだろう - 小さなしあわせの花

以前ブログ(↑↑)にも書いたが、祖父は胆管癌という病気だった。始め、黄疸の症状から始まり、検査をすると胆石が溜まっていることが分かり摘出手術を行った。それが二年前の秋頃ただった。

それから一年、夏頃に癌であることが発覚し、何度か摘出手術を行ったが時は既に遅し。祖父の年齢と腫瘍の転移、症状の進行状態からして全ての腫瘍は取り除けず、そのまま薬での治療となった。一回目の手術から体のことを考え、大好きだったビールをやめ、生きがいだった釣りも出来るだけ控えるようになった祖父。お調子者で頭は悪かったが生真面目で誰よりも真っ当な人生を歩む気持ちだけは常に兼ね備えていた。

一年かけて徐々に症状は悪化する一方だった。抗がん剤治療を今年の8月9日から始めた。8月14日に79歳を迎えた祖父にとって相当な負荷だったのだろう、あまりにも薬が強かったせいでとても苦しみ悶え、のちに「死ぬかと思った」と言っていた。最後に検診に行ったのは今年の8月11日だった。そこで担当医にあと一、二ヶ月程と余命宣告された。私も母も祖母も家族皆、覚悟はしていた。

8月16日、薬が強く、寝たきりになってしまった祖父。ケアマネージャーさんなどと今後の相談をした。翌日からヘルパーさんや看護師さんには来て頂くことになり、お願いした。しかし、翌日の夜から祖父の状態が急激に悪化。その日に何があったのか祖母に聞くとヘルパーさんが祖父をお風呂に入れたという。ケアマネージャーさんとの約束では、祖父は起き上がることもままならなく、話をするのも辛いから体を拭くだけということになっていた。だが、ヘルパーさんは祖父が髪を洗いたいと言うから、お風呂の方が早いということになり祖父母に承諾を得て入れたという。

ヘルパーさんの行動にも驚いたが、なによりも祖父の状態が危なかった。その次の日を回った夜中、祖母から連絡があり母が駆けつけた。その後、母から連絡があり私も駆けつけた。当直の先生に来て頂き点滴を打ってもらうと、痛いと嘆いていた祖父も落ち着いた。しかし当直の先生からはもう明日か明後日には、と言われていた。

薬を投与したこともありハイになった祖父はいつものように私に冗談を言ってくれたり、笑わせてくれた。それが祖父との最後の会話となった。

8月19日になったばかりの夜中、前夜のように祖父が暴れると祖母から連絡があり母が駆けた。朝方の5時過ぎ頃、母から祖父が亡くなったと電話があった。電話の向こうで泣き崩れる母に何も言えなかった。現実を受け止めることしか私にはできなかった。

急いで祖父の元へ行き、最後のお別れをした。

昨日まで頬骨を出して笑っていた祖父がもういない。 あっという間だった。

 

今はもういない現実は分かっていても、いつもすぐそばにいるような感じがしてしまう。また頬骨を出して真っ赤な顔で笑ってくれそうな気がしてしまう。

だからそのうち、時間にまかせていけばいいのかなと思う。ただ後悔しなければ。

たった一つの私の小さな後悔。祖父に花火の写真、見せてあげられなかった。たったそれだけとも思えるけど、フォルダを整理してこの写真を見つけた時の気持ちは正直だった。

 

人は生きていればやり直せることもあるし、その先の人生を最高にすることも出来る。日々の小さな幸せは大きな幸せである。大切な人との時間は一番の幸福である。それを胸に秘めて、人生をやり直してみようと思う。後悔のないように。後悔も思い出に出来るように。

そう風磨くんが夏に教えてくれた。二年前の夏も、一年前の夏も、今年の夏も。

 

 

 同じ今日を生きるすべての人に幸あれ

 

 

 

 

2017.09.10